アウトローアニメの偉大な失敗作
前回はアウトローアニメの魅力について科学的遊戯(SF)してみましたが、このブログの特性上、失敗作についても書いてみたいと思います。
ここ2~3年の傾向なのですが12話1/4クールを期間をあけて作ると失敗するというジンクスがあります。代表的な例としてはこのブログの初期に書いたヒロインが死ぬ死ぬ詐欺を行うという作品です。
もうひとつの作品としては『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』です。
この作品も上記と同じように第1期は好評でしたが、第2期の評価がさんざんな作品です。
面白い事のこの作品は
ロボット+任侠+ボーイズミーツガール+アウトロー+鈍器
です。
今までにない斬新な設定ですが恐ろしい事に第1期は成功しました。しかも、主人公の武器は鈍器です。とは言っても奇を狙っているようで狙ってはいません。
実はガンダムシリーズには幾つかお約束があります。その一つとしては飛び道具が絶対的なアドバンテージをもたないという事です。この作品ではこの設定を成立させるためによくわからないエンジンを稼働させると電子機器が壊れる使えないという設定を定めています。
これに謎装甲で光学兵器が有効ではないという設定を加える事により白兵戦の頻度を無理なく高めております。この試みは第1期では主人公達のアウトロー的なキャラクターと共に相乗効果を発揮し、非常に見どころのある展開、演出となりました。
主人公がペンチで相手を潰したりとか、敵の武器がドリルなどなど・・・気が狂っているとしか思えないですが面白いです。
では何故、第2期は失敗してしまったのでしょうか?
幾つかありますがまとめると、お約束を無視してしまったからだと思います。では、具体的にどのような約束を無視してしまったのでしょうか?
①アウトローであった主人公達が普通の人になってしまった。
ちょっと前まで教育も何もうけておらず、少年兵だった主人公が行儀よくなりすぎです。もっと下品であるべきであったと思います。
少年兵だった人物がトラブルや犯罪を起こさずに日常生活をおくれるはずがありません。というか専門職の兵士ですらトラブルや犯罪を起こしています。ましてやほぼ完全にアウトローの少年達にしては行儀が良すぎます。そのためアウトローがアウトローたる由縁である自己破滅性が感じられなくなってしまいました。
ちなみに第1期はそんな余裕はなく、普通の社会と接する機会がなかったので問題ありませんでした。
②ガンダム物のタブーである大規模戦闘を真面目に描こうとした。
というか大規模戦闘自体をまともに映像化する事ができないからです。
そのため大規模戦闘で情勢を描く場合はシンボル化した陣形図みたいなもので描く事が多いです。オルフェンズはこのタブーを犯してしまいました。
ちなみに第1期はこのお約束をちゃんと守っています。
③強力な飛び道具を制限無しで使ってはならない。
過去のガンダムでは強力な飛び道具がしばし登場しますが・・・必ず制限を設けています。ソーラーレイ、コロニーレイザー、ハイパーメガ粒子砲などなど必ず制限を設けています。(紙装甲とか簡単に接近されて壊される、使い勝手がメチャ悪いなどなどです。)
ところがオルフェンズの後半では強力な飛び道具を敵側が無制限でバンバン使います。ガンダムのお約束はガンダムというカラーを成立させるという意味あいもありますが、アニメ作品として描くと問題がでるためいう側面もあります。
他のガンダムシリーズのお約束してはファンネルという小型遠隔自動操縦兵器を強い武器として描いてはならないなどがあります。
最終的にはこのお約束を守らなかったツケが溜まり溜まってシナリオ、演出が崩壊したというところではないでしょうか。
ガンダム物を枠を壊した作品として有名なのは
ですが、実は上記のお約束はキッチリと守っています。
近い時期に『ガンダム Gのレコンギスタ』という不評な作品もありますが、オルフェンズとは違った失敗です。悪い評判を分析していくと、理解が追い付かない、作った人の感覚が理解できない、キャラクターに共感が得られないなどなどで作品として矛盾しているとか破綻しているという話ではないです。
逆にこのお約束を頑なまでに守り人気を得た『機動戦士ガンダムUC』という作品もあります。
といいつつも『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』は第1期及び第2期の途中まではアウトロー色の強い見ごたえのある作品です。
でわ、この辺で。